今日のブログでは、私(坂本)がどんな道のりで、腸セラピストという、「どっぷり健康産業」に入ったかをお伝えしたいと思います。
興味のある方はぜひ、お読みいただければ嬉しいです。
体力がなかった子供時代
未熟児で生まれた私は、本当に体力がなく、運動会の次の日には熱を出して学校を休むという子供でした。
小学生の時は地域のバレーボールチームに所属しておりました。こちらも練習についていくのに必死でしたが、徐々に体力もついて、走るのも速くなっていきました。
無茶なダイエットの高校時代
中学時代はソフトボール部だったので、よく食べていました。部活を引退しても10代ですから食欲は変わらずで、そのまま太っていきました。
制服のスカートがきつかったのを覚えています。
そこで、炭水化物や糖質をとらない、(なぜか)卵も食べないという無茶なダイエットをした結果、減量と同時に貧血で倒れました。
10代なのに、手のひらだけが年老いていて、カサカサになっていました。
このような経験から、健康への関心が高まっていった…というわけではありません。
海外に目を向ける
高校時代は英語が得意になり、1週間で9コマの英語の授業を受けて(1日に2コマあるということ)、友達の課題も代わりに行っていました(その代わり、古文を友達に丸投げしてたので、受験生の時焦りました~)。
海外タレントの隣にいる通訳の人に関心を持ったり、洋画の字幕で見る意訳と、英語の授業で教わる直訳の差に気づき、語学の面白さを知っていきました。
ちなみに「意訳」とは、単語一つ一つの意味よりも全体の流れや意味を重視して訳すことです。
例えば、「Where you are?」を英語の授業だと「あなたはどこにいるの?」と訳しますよね。ところが、映画の内容によっては「逃げても無駄だ」となることもあり、こちらの方は追い詰められている感じが伝わります。
海外の映画や、旅番組などを見たりすると、色々な文化があることがわかります。大学時代は、中国へ1カ月間留学し、自分の常識が、日本でしか通用しないことだということを思い知らされました。
社会人になってからは、ツラいことがあると海外へ旅行して、気分転換をしました。
目の前のことに必死になるので(読めないタイ語と画質の粗い写真で夕食のメニューを決めなければならないとか、すべてが冒険!)、自分が悩んでいたことが本当にちっぽけに思えて、前向きになれるんですね。
時々いらっしゃる外国のお客様に英語・中国語対応をすることはありましたが、語学を武器とした仕事ができるほどの語学力を身に着けられなかった私は、24歳の時、人生を大きく変える行動に出ます。
続く。